日日是好日

よく生きている

俺、エモい?俺エモい?ねえ

 

造られたエモが云々と、

ネタ構文になるほどの言われがあるけれど

私も10代の時は惹かれてたかもなぁ、いや

そもそも幼少期からレトロに憧れを抱いていたのを思い出した

 

みろくの里という福山にあるテーマパークに

昭和30年代を再現した【いつか来た道】というエリアがあり

今でいう西武園ゆうえんちが目指したような街並みの再現をするという場所であった

 

その場所で私がどれほど胸をときめかしたか

はたまたそのさらに昔

祖父母の家の日本家屋の畳に寝そべり

裏山から聞こえる蝉の声にウットリしたのは

きっと未だに同じ感情に浸れる気がする

 

みろくの里は1989年に開園した

広島に現存する唯一の遊園地である

いつか来た道の『エモ』は

我々の親世代をターゲットにしたものであったが

先述した西武園ゆうえんちの“レトロ”は

もはや令和の子供たちの祖父母世代のもので

遥か遠い昔の景色である

今の子供たちにとって携帯もない昭和は

戦後という大きな時代の枠組みの中にあってもおかしくない

 

エモいという言葉は

ヤバい、ほどには浸透せず

とっくに死んだ言葉になったが

母国語ないし言葉で上手く表現出来ないが

感情が大きく揺さぶらた、ということを表現する

非常に便利な言葉であったと思う

 

西武園ゆうえんちの描いたレトロは

令和キッズたちにとってはただの昔というより

我々世代が江戸時代を思うような

1つの独立した時代に対して感じる

異次元さがあるのではないかと思う

 

我々はもはや江戸時代にノスタルジーは感じない

 

では普遍的に世代を超えて

感情を揺さぶるモノとはどのようなものだろうか

 

この頃感情を揺さぶられることがあっても

言語化して残す機会が少なくなったため

日記に書き残そうと試みたものの

“エモい”という言語について書くことが長くなったためこのあたりで切る

 

俺、エモい?

 

今回のタイトルは

俺キモい?と投げかけ続ける

DODOの曲から来たものだ